世の中には,「死んで覚えるゲーム」と分類されるジャンルがある。物騒なジャンル名だが,これらに括られるタイトルはたいていの場合,難しすぎるかチュートリアルが不親切か,そうでなければゲーム要素が膨大すぎて,とりあえず数回プレイして全貌をつかむまで,いったいどのギミックがゲームの中心部分に来ているのか見当がつかず,ゲームの中で生き延びるにあたって何が最も大事なのか理解できないといった特徴を持つ。
現状において,最も「死んで覚える」傾向が強いのはFPSであろう。これはルールやギミックこそ簡単だが,生き残るためのマナーを覚えるまでに時間がかかるタイプに属する。また,Paradox Interactiveの歴史ストラテジーのほとんども「死んで覚える」系だが,これは逆にゲーム要素が多すぎるというタイプだ。
その一方で,上記の分類ではうまく分けられない例も存在する。それは,唐突かつ無慈悲な死に出会った瞬間,ときには笑いながら「これだ!」とばかりに膝を打つタイプの――あえていえば「やられることがエンタテイメントの一部になる」作品群である。
などと書くと,何を馬鹿なことをと思われるかもしれない。ゲームにおいてプレイヤーの代理を務める存在が死んでしまうのは,ゲームが用意するペナルティであり,それが楽しいというのは何かが根本的に違うのではないか,特殊な遊び方ではないのか,と。
――しかしながら,これが意外とそうでもなかったりする。
初代ウィザードリィのスタート画面。デュプリケイトディスクなんてのもありました
RPGにおいて,「ウィザードリィ」は一つの輝ける金字塔だ。いまだにウィザードリィのクローンはあちこちで作られ続けており,日本でもPCだけでなく,据え置き型のコンシューマ機から携帯ゲームまで,さまざまなプラットフォームにおいて展開され続けている。
万が一(かなり,「万が一」と言えなくなってきている気もするが)ご存じない方のために簡単に説明すると,「ウィザードリィ」は冒険者6人でパーティを編成し,3Dのマップで描かれた地下10階のダンジョンを攻略していくというRPGだ。
序盤におけるゲームバランスの異様な辛さもさることながら,ショートカットできる7階や8階といったフロアにこそ歴戦の冒険者をして恐怖せしめるギミックがてんこもりになっていたり,「もはや散歩コース」であるはずの9階や10階で思いがけない突然死をしたりと,とにかくあらゆる状況において死の影が脳裏のどこかに揺らぐことを強いられ続ける作品である。
それでいて,強力なアイテムを見つけたときやレベルアップしたときの嬉しさは,まさにコンピューターRPGの原点がここにあるといっていい。
ウィザードリィ IIのスタート画面。なんだかほとんど違いが見つらないが,気にしない
ウィザードリィ II(PC版)は,そんなウィザードリィをさんざん楽しんだプレイヤーに向かって作られた続編である(ちなみに,コンシューマー版では「II」がPC版「III」相当で,「III」がPC版「II」相当であることに注意)。
残念ながら,ウィザードリィ IIは,あまりよい評価を得られなかった作品だ。データを移行するとレベルは保持されるものの,アイテムがすべて没収されてしまうこともマイナス材料だったが,ダンジョンが全6フロアしかなかったり,ゲームバランスがどうにも甘めだったことなど,全体的に死の影が感じられなかったのだ。
ゲームバランスに関する問題点は,Wikipediaでも指摘されている。
以上の記述には,一つだけ気になるところがある。それは,
「新たに作成したキャラクターのみのパーティでは事実上プレイできない」
の部分だ。